内気な性格がゆえに

大昔の話ですが、AIU保険会社の代理店としてスタートした時、
飛び込みセールスができず、ダイレクトメールやポスティングに頼りきっていました。
それですら一人で撒く自信がなく、子どもを道づれに団地のポストに撒いて回りました。

そのダイレクトメールを受け取った一人からの戻ってきた一枚のメールがきっかけで、
一流企業の組合支部と繋がりができ、
自動車保険を新規契約してもらうことができました。

それ以上に契約が増えたわけではありませんが、
「いつか必ずこの組合で全国規模で商いをさせて貰おう!」
と言う思いだけを胸に秘め続けていました。

ある日、週刊誌の記事で″A社のがん保険”が日本に上陸したことを知りました。

保険の内容というより

1、保険料の安さ
2、契約が続いている限り、手数料が終世支払われること

という点に特に魅力を感じました。

これらは飛び込みセールスができなかった私にとって、素晴らしい好条件に思えました。

代理店を申請

私はすぐに新宿にある本社に出向き、代理店申請を願い出ました。
しかし、ていよく断わられてしまいました。「保険会社なら、代理店申請を断わられることは無いと思ってましたので数回通ったのでしたが、元AIUに勤めていた社員がこの会社で働いていると聞いたので電話して事情を話した何処すぐ許可になりました。後から分かったことですが、当時は代理店依頼が殺到し、監督官庁の大蔵省から
「新規でどうなるか分からない会社を採用するな」と注意が出てたそうでした。
そのため募集を一時中止していた時期があったようです。
つまり「新設の会社が代理店の作りすぎだ」ということ。

本来なら損保の代理店が、数千店は代理店になっていてもおかしくはありません。
しかし数名しか採用されてなかったようでした。

ことがうまく運んだのも、私の先見性と粘りが功を奏したと思っています。

ある言葉がきっかけとなり

それでもこれだけの組織をお客に持ちながら、
年間契約数は35〜55件しか挙げられていませんでした。
さらには、それまで十数年学んだ自己啓発の勉強も、何の効果も発揮できていませんでした。

しかしある言葉がきっかけで、
翌々年40才の時には500件の成約となり、
その翌年から、毎年平均4,500件の契約が当然のように挙がるようになっていきます。
25年後、65才でリタイヤする時は契約件数4万件、
年間35億円の保険料を獲得するに至っていたのです。

創意工夫の営業時代

代理店を始めた時から自分の企画力を信じ、
営業範囲も限定せずに、勝手に「全国を営業範囲」と決めて動きました。
当時はバブル期だったため、社員募集をしても年配者しか応募がありません。

その上、資金が借りれず、仕方なく1人でやることを決めました。

そのため稟議書が不要で、即決してくれる労働組合を対象にする方法を考えました。
募集方法として、保険会社の特約店制度を活用し、お客様に協力していただく方法を取りました。
特に気をつかったのは「お客様に手をかけさせない」ということ。

本部を窓口とせず、全国にある支部を対象に、営業してまわりました。
これは「トラブルが生じたとしても、契約には安全性がある」との思いからです。
幸い当時は個人情報漏洩法施行の前だったので、
名簿を手にいれるコツを得ており、初回訪問で名簿を借りることができました。

それが功を奏し、初回の募集を即日決定してもらえました。
なんせ全国に数百カ所ある工場・支店を一刻も早く募集するには、
「何度も訪問してからでは遅い!」と考え、
初回で決めてもらえるように話法を工夫し、実行しました。
そこ成功の秘訣があるように思います。

当時のことですからパソコンやプリンターもそこまで性能の良いものでもなく、
プリンターなどは大量も名簿を印刷するときは
2台用意して帰宅するときにセットし稼働させ続け、翌朝出社したら機械がギーギーと鳴ってプリントできなくなっていたことも度々ありました。
しかし、それも時間と人手が無かったための苦肉の策。

そうしてできた資料を次の職場会までに送付し、そこで営業を始めました。

職場会では先方の都合によっては、数分の挨拶だけであったり、
一時間たっぷりあったりなど、担当者の関心度任せでした。
各人に配布する時、「この保険がいかに大切か」、「組織で扱う重要性」ということを最小限の話法でアピールし、一週間での回収をお願いしていました。

効率的な営業

数十万人の大企業などの組織が相手でも、
「1人でやるには大き過ぎる」とは考えませんでした。
百数十ある工場や営業所も多いとは思わなかったですし、
実際、その中の3分の1は成約できていました。

また紹介はお願いしませんでした。
なぜなら、紹介を頼むと相手の都合に合わせなくてはならなくなります
つまり時間が制限され、こちらの都合で営業にまわれなくなってしまうと思ったからです。

私の営業方法はこうです。
1、地域を決める
2、一つ目の訪問先を決める
3、それに合わせ現地に行ってから電話
で次の訪問先を予約する

これで効率的に営業できたと思います。

初回で決める

訪問対象が多かったので、
会えた人には一回で決めて貰えるよう熱意をもって接しました。
また、私の性格が相まって、しつこい話を避けるために訪問回数は年に3回以内と決めていました。

要は初回訪問で契約を決めることに注力していました。
実際ほとんどの組織が初回で決めてくれました。

いや、「決められるように持って行った」と言う方が正しいかもしれません。

県内でトップの成績になる


そうこうしているうちに横浜にもA社の営業所ができました。
成績を上げるために必死だった時期、当社の顧客に目をつけた会社があらわれたのです。

そこは一社員を専属のように付けてくれ、
手伝う社員の出張費も惜しみなく出してくれました。
当時の資金もなく、人手もない私にとって非常にありがたい協力でありました。
遠慮なく手伝ってもらいました。

そのおかげもあり、その後数年間は神奈川県のトップの成績をおさめることに成功しました。

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